2010年2月の記事一覧です。
病気とは、カラダの自己主張であると思う。
私たちが指の存在に気づくとき、それは指が痛くなったときである。
指が痛くなったときに初めて、指が自由に動くことの有り難さに気がつく。
私たちがカラダへの感謝の気持ちを忘れたとき、カラダは自己主張を
はじめるのだ。
おかしな話に聞こえるかもしれないが、私はお風呂で
自分の体を洗いながら、いつもカラダにありがとうと言っている。
排泄するときも、もちろんそうだ。自分で小便、大便ができることの
幸せといったらない。こんな風になったのは、寝たきりだった母親を
みてからかも知れない。24時間自分のために働いてくれているこの
カラダとは決して自分のものではないような気がする
とかく銀行員や会計の専門家は、経営を率でみたがる。
しかし、大事なのは、率よりも額なのです。
人が他人欠点や失敗を指摘して責めることができるのは、その同じ欠点や失敗が
自分にもある場合に限られるということである。その同じものが自分にあるのでなければ、
他人のそれに気がつくことすら不可能のはずだからである。人は常に自分の目によって
他人を見ている。これは当たり前のことのようだが、この当たり前に気がつくと、世界は
一変するはずである。つまり、その他人がそうなのではなくて、その他人を見る自分の目が
そうなのだ。他人とは、すなわち自分なのだ。他人は自分の鏡なのだ。(池田晶子「私とは何か」)
何もしないということも意思決定である。
お世辞が上手に言えるようになるまでは、決して結婚してはならない。
独身の間は、女性をほめようとほめまいと自由だが、いったん結婚したとなると、
相手をほめることが必須条件となる。これは、自己の安全のためにも、不可欠である。
率直なものの言い方は禁物だ。結婚生活は、外交の場である(デール・カーネギー「人を動かす」)
う~ん、外交の場ですか。確かにそんな気もします。