引き続き「目からウロコが落ちる 奇跡の経済教室【基礎知識編】」の内容を取り上げます。デフレ脱却のためには、需要アップ、供給ダウンが必要でした。そのためには、財政拡大、「大きな政府」、金融緩和、産業・労働者の保護、競争の抑制、グローバル化の抑制といった平成日本では悪とされたこと(金融緩和を除く)をやらなくてなりませんでした。ところが、全く逆のことをしてきたのが平成日本だったわけです。
当時は次のような議論を展開する経済学者たちがいました。「デフレとは、貨幣の価値が上がる現象だ。だから、デフレから脱却するためには、貨幣の価値を下げていく必要がある。要するに、貨幣の供給量を増やしさえすればよいのだ」と言って、デフレの原因を日本銀行のせいにしていました。
では、貨幣の供給量はどうすれば増えるのでしょうか。この問いに答えるためには「貨幣とは何か」を知らなくてはなりません。いまさらと思うかも知れませんが、主な経済学の教科書のほとんどが貨幣について正確に説明していません。経済学者、政治家、官僚など、経済政策を動かしているエリートのほとんどが貨幣について誤解していると言いますから驚きです。
イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)に掲載された貨幣の説明が参考になります。
「今日、貨幣とは負債の一形式であり、経済において交換手段として受け入れられた特殊な負債である」
このような学説を「信用貨幣論」といいます。これに対して、貨幣の価値は、貴金属などに裏付けされているとする学説は「商品貨幣論」と呼ばれています。戦前の金本位制は「商品貨幣論」です。金本位制とは「金」を通貨の価値基準として、自国通貨と金を一定比率で交換することを国が保証した制度です。現代の通貨は、金などの貴金属と交換が保証されているわけではありません。それなのに「お金」として広く使われています。
実は、イングランド銀行の季刊誌は「商品貨幣論」を否定しています。季刊誌では「ロビンソン・クルーソーとフライデーしかいない孤島」という架空の事例を挙げています。その孤島で、「ロビンソン・クルーソーが春に野イチゴを収穫してフライデーに渡す。その代わりに、フライデーは秋に獲った魚をクルーソーに渡すことを約束する」とします。
春の時点でロビンソン・クルーソーはフライデーに対する「信用」が生じ、フライデーはロビンソン・クルーソーに対する「負債」が生じます。ここで大切なことは、春と秋とでタイミングがずれるということです。同時に野イチゴと魚を交換するのでは単なる物々交換で終わってしまい、「信用」と「負債」は生じないからです。
春の時点で、フライデーがロビンソン・クルーソーに対して、「秋に魚を渡す」という「借用証書」を渡したとしましょう。ここで、話を少しアレンジして、この島にはクルーソーとフライデーの他にサンデーという第三者がいたとします。サンデーは火打石を持っているとします。そしてロビンソン・クルーソーがフライデーに対する「借用証書」をサンデーに渡して、その火打石を手に入れたとしましょう。さらに、この3人に加えて、マンデーという人もいたとします。マンデーが持っているのは干し肉です。そして、サンデーがそのマンデーに例の「借用証書」を渡してその干し肉を入手したとします。
出典:オントラック作成
その結果、上の図の通り、フライデーは「秋に魚を渡す」という債務をマンデーに対して負ったということになります。この例では、フライデーの「秋に魚を渡す」という債務は、クルーソー以外の2人にも譲渡可能なものになっています。つまり、ロビンソン・クルーソーの4人の島では、このフライデーの債務の存在を示す「借用証書」が貨幣となっているのです。これが「貨幣とは負債の一形式である」という意味です。
ところで、この「借用証書」が貨幣として流通するためには、いくつかの条件が必要です。フライデーが「秋に魚を渡す」という約束を必ず守るという信用がなければ、この「借用証書」は誰も受け取ってくれません。また、この「借用証書」をマンデーもサンデーも受け取ってくれるためには、クルーソーの「野イチゴ」、フライデーの「魚」、サンデーの「火打石」、マンデーの「干し肉」の価値が等しくなければなりません。
現実の経済における財・サービスの取引は、無数の主体の間で行われます。その取引の数も膨大です。つまり、「売り手」と「買い手」の間の信用と負債の関係もまた無数に存在するということになります。そこで、ある二者間の関係で定義された「負債」と別の二者間の関係で定義された「負債」とを相互に比較し、決済できるようにするために、負債の大きさを計算する共通の表示単位が必要となります。この共通の負債の表示単位が、円やドルやポンドといったものなのです。
次回は元銀行員の私も知らなかった「銀行の驚くべき機能」について説明します。