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呆れた知財価値の推定方法

7月初めに米国の電気自動車大手テスラの時価総額が、トヨタ自動車を上回ったことが話題になりました。両社の市場評価の違いが如実に表れているのが株価純資産倍率(PBR: Price Book-value Ratio)です。PBRは、1株当たりの純資産額の何倍の株価がついているかを示す指標です。分子と分母に発行済株式数を掛ければ、株価×発行済株式数=株式時価総額ですから、PBRは、純資産の何倍の株式時価総額になっているかを示すともいえます。


PBR1倍を下回ることもあるトヨタは、日本企業の市場評価の低さの象徴として、しばしば話題になります。一方で、テスラのPBRは約30倍となっています。一般的にPBRが1倍を上回る部分には、企業の財務諸表に表れていない「見えない資産」の価値が反映されていると考えられます(下図ご参照)。テスラの場合で言えば、「見えない資産」は、いまだ顕在化していない電気自動車の開発力、生産能力、技術力かも知れません。あるいは、カリスマ的な経営者であるイーロン・マスクCEOという人的資本の価値かも知れません。


出典:オントラック作成

いずれにしても、今後ますます財務諸表に表れていない「見えない資産」の重要性が高まってくるのは確かです。そんな中、2020年6月16日付日経新聞『「無形の力」映すキーエンス 世界の潮流の向かう先』という記事の中で、キーエンスの知的財産権の価値が算定されていました。

出典:2020年6月16日付日経新聞『「無形の力」映すキーエンス 世界の潮流の向かう先』

この記事の中で、キーエンスの時価総額の10兆8千億円(8日時点)は「成長性(将来の利益)から見た企業価値」の部分4兆1千億円と「無形資産が由来の価値(無形資産含み益)」の部分6兆7千億円に分解できるとしています。

キーエンスには目立ったM&A(合併・買収)がなく、「のれん」はほとんど存在しないと考えていいことから、6兆7千億円のほとんどは特許やソフトなど知的財産である可能性が高いと結論づけています。

私の興味は一気にどのようにキーエンスの知的財産権を6兆7千億円と評価できたのかに移りました。2020年6月16日付日経XTECH「キーエンスが首位、2位・3位は? 知財価値ランキング」という記事に知財価値の評価方法が記載してありました。以下、知財価値の評価方法のところだけ一部抜粋させていただきます。


[B]具体例
 知財価値ランキングトップのキーエンスを例に、知財価値推定の手法を説明する。

 東証1部の平均的な株価純資産倍率(PBR)は、2020年6月8日時点で1.237倍となっている。これは将来利益の現在価値がバランスシート上の純資産の何倍に評価されているかを表している。

 キーエンスの2020年3月期における年率自己資本増加率(ROE)は11.8%と、東証1部上場企業の直近決算の平均ROEである6.2%を大きく上回った。従って、キーエンスの将来利益の現在価値を表すPBRは、1.237倍×11.8%/6.2%=2.35倍と推定できる。

 キーエンスの2020年3月末時点の純資産は1.7兆円であった。ここから、PBRが2.35倍というのを基に計算すると、キーエンスの将来利益の現在価値は4.1兆円となる。一方、2020年6月9日時点の時価総額は10.8兆円なので、差し引き6.7兆円が知財価値となる(図)。

出典:2020年6月16日付日経XTECH「キーエンスが首位、2位・3位は? 知財価値ランキング」一部抜粋


なかなか、すっと頭に入ってきません。何度も読み返すと、この「知財価値推定の手法」はどうやら、キーエンスの「将来利益の現在価値を表すPBR」を次の式で推定しているようです。ちなみに、私は初めて「将来利益の現在価値を表すPBR」という言葉を聞きました。

$$PBR=平均PBR×\frac{キーエンスROE}{平均ROE}=1.237×\frac{11.8\%}{6.2\%}=2.35$$

キーエンスのROE11.8 %に対して、東証1部上場企業平均(以下1部平均)のROEは6.2%です。キーエンスの資本効率性は1部平均の約2倍(≒1.9=11.8%/6.2%)であることがわかります。言ってみれば、キーエンスの資本効率倍率(私の造語)は1部平均の約2倍と言えます。そして、1部平均のPBRである1.237倍にこのキーエンスの資本効率倍率を掛けて、キーエンスの「将来利益の現在価値を表すPBR」を計算してことがわかります。

そして、この算出されたPBR2.35倍にキーエンスの純資産額1.758兆円を掛けて「将来利益の現在価値」を4.139兆円と計算しています。さらに、キーエンスの時価総額10.867兆円からこの「将来利益の現在価値」である4.139兆円をマイナスして知的財産権の価値が6.728兆円と算定しているのです。

やっぱり、よく分かりません。別の角度から考えてみることにします。実は、PBR、PER、そしてROEには次のような関係があります。なぜこの式が成立するかは、左辺のPERとROEを掛け算すれば、分母と分子の当期純利益が消えてしまうことでお分かりいただけると思います。

$$PBR(\frac{株式時価総額}{純資産})=PER(\frac{株式時価総額}{当期純利益})×ROE(\frac{当期純利益}{純資産})$$

「将来利益の現在価値を表すPBR」の計算式は次のように変形することができます。

$$PBR=平均PBR×\frac{キーエンスROE}{平均ROE}=\frac{平均PBR}{平均ROE}×キーエンスROE$$さらに、「PBR=PER×ROE」の関係式から、「平均PER=平均PBR/平均ROE」ですから、上式に代入すれば、次のように書き換えることができます。

$$PBR=平均PER×キーエンスROE$$

「知財価値推定の手法」によれば、「将来利益の現在価値を表すPBR」にキーエンスの純資産を掛けて、「将来利益の現在価値」を求めています。PBRに上式を代入して整理します。

\(将来利益の現在価値\\=PBR×キーエンス純資産\\=平均PER×キーエンスROE(\frac{当期純利益}{純資産})×キーエンス純資産\\=平均PER×キーエンス当期純利益\)
(式①)

ROEは(当期純利益/純資産)ですので、結局のところ、キーエンスの「将来利益の現在価値」は、平均PERにキーエンスの当期純利益を掛けて計算していることになります。このロジックが全く分かりません。ともかく、先に進みましょう。そして、キーエンスの時価総額は以下で表すことができます。

\(キーエンス時価総額\\=キーエンスPER(\frac{株式時価総額}{当期純利益})×キーエンス当期純利益\)
(式②)

「知財価値推定の手法」によれば、キーエンスの知的財産権は、時価総額から「将来利益の現在価値」をマイナスしたものです。したがって、式②から式①をマイナスします。

\(キーエンス知的財産権\\=キーエンス時価総額-キーエンス将来利益の現在価値\\=(キーエンスPER-平均PER)×キーエンス当期純利益\)

式を整理すると、なんと、キーエンスの知的財産権の価値は、キーエンスのPERと1部平均PERとの差にキーエンスの当期純利益を掛けたものであることがわかります。なんだか、もっともらしく「知財価値の算定方法」を説明しているのですが、結局のところは、対象会社のPERと1部平均PERとの差が対象会社の知的財産権の価値と言っているに過ぎません。さすがにそれは違うでしょと突っ込みたくなります。「よくわからないけど、専門家が言っていることだから」と信じてしまいそうになりますね。皆さん、くれぐれもお気をつけください。

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