「同業他社も生成AIを導入しています。我が社も急がなければなりません」
最近、CFOや財務部門には、このような投資案件が次々と持ち込まれているのではないでしょうか。提案書には魅力的な言葉が並びます。業務時間を30%削減できる。顧客分析を10倍速くできる。人員不足を解消できる。その一方で、情報漏洩やハルシネーション、著作権、内部統制といったリスクも無視できません。財務部門は、これにどう向き合うべきなのでしょうか。
2026年7月21日、Bank of Americaが、顧客対応を支援する生成AI「EricaAssist」の機能強化を発表しました。顧客が電話をかけてきた理由を要約し、必要な情報を集め、担当者に次の対応を提案する仕組みです。1万8,000人を超える従業員が利用しており、必要な情報は3秒未満で提示され、平均通話時間は1件あたり約1分短縮されたといいます。分かりやすい成功事例に見えます。
それでは、具体的に計算してみましょう。1人が1日20件の電話を受けるとすれば、1件1分の短縮で1日20分。年間240営業日なら80時間です。これが1万8,000人分ですから、144万時間になります。1時間あたりの人件費を6,000円と置けば、86億円相当という数字が出てきます。提案書に載せるには十分すぎるインパクトでしょう。
ただ、この86億円という数字と、実際に口座に残るお金とは別ものです。この時間がキャッシュに変わるには、削減した分だけ採用を絞るか、残業代や外注費が実際に減るか、同じ人数でより多くの顧客に対応して収益が増えるか、そのいずれかが起きる必要があります。何も起きなければ、現場に余裕時間が生まれただけで終わります。削減した時間は、お金には結びついていないのです。
もちろん、現場に余裕が生まれること自体は悪いことではありません。部署が働きすぎで、疲弊していたとすれば、それだけで意味があります。ただ、それは働き方の改善であって、投資の経済効果とは別の話です。稟議書の効果欄に86億円と書いた以上、その86億円が具体的にどこに現れるのかを説明する必要があります。
AI投資を評価するとき、財務担当が最初に確認すべきなのは削減時間の大きさではなく、その時間がどのようにキャッシュフロー増加に結びつくのかです。企業価値はフリーキャッシュフローと資本コストで決まりますから、確認すべき先もこの2つしかありません。
まずはフリーキャッシュフロー側から見ていきます。ここはフリーキャッシュフローの定義に戻るのがいいでしょう。
FCF = 営業利益 ×(1 − 税率)+ 減価償却費 − 設備投資 − 運転資本の増加
この式のどこにAI投資の効果が現れるかを考えると、場所はかなり限られてきます。税率は制度が決めるもので、AIを入れたところで動きません。減価償却費と設備投資は、AI投資そのものが計上される場所です。残るのは営業利益と運転資本だけです。つまり、確認すべき点は3つです。
第一に、売上が増えるのか。提案数や顧客接点が増える、成約率が上がる、あるいは新しいサービスが生まれるといった効果です。第二に、費用が減るのか。残業代、外注費、採用費、システム運用費といった支出はもちろん、不正や入力ミス、契約上の見落としによる損失も、減るのであればここに入ります。
第三に、運転資本が改善するのか。請求、回収、在庫管理、資金予測が効率化されれば、必要な運転資本は小さくなります。売掛金の回収が5日早まる、在庫回転日数が短くなるといった効果は、そのままキャッシュの増加に結びつきます。
裏を返せば、この3つのどれにも繋がらない「作業時間の削減」は、投資効果として数えるべきものではありません。効果を生む可能性がある、という状態にすぎない。提案書を精査する場合は、こうした提案書に並んだ削減時間が、このうちどの要素に該当するのかを確認するところから始めるといいと思います。
さて、企業価値を決めるもう一方の要素である資本コストはどうでしょうか。AI投資の提案書には、「AIでリスクが下がるので資本コストも下がります」という説明がしばしば添えられます。これがなかなかの曲者で、分解してみると理屈が通っていないことが多いのです。後編では、株主資本コストと負債コストに分けて、AI投資が資本コストのどこに効き、どこには効かないのかを整理します。



