この本「戦略としての企業価値」は、戦略とファイナンスという2つの視点を組み合わせて、企業や事業の全体像を理解し、企業価値を増加させるために必要な思考法とスキルセットを解説しています。その中で、経営者が事業家であり投資家であるという観点を強調し、これらの役割を併せ持つリーダーが不確実性が高まった現代社会を切り抜けていくとしています。
本書は、戦略の概念があいまいであるとした上で、それを具体化するために「ミッション」、「ビジョン」、「バリュー」の上位概念から始め、企業の具体的な事例を通じて戦略を分かりやすく解説してくれています。
企業価値の源泉は、事業の「成長」と「稼ぐ力」です。これらを高める戦略を構築する方法について、説明していきます。「成長」を促進する戦略として、メガトレンドに乗った成長、事業ポートフォリオマネジメントによる成長、そしてエコシステム構築による成長が挙げられています。また、「稼ぐ力」を強化する戦略としては、利益水準の高い事業分野への展開と機能戦略の推進を指摘しています。
本書では、戦略とファイナンスを結びつけるツールとしてROIC分解ツリーを紹介しています。これによって、ROICを因数分解のように分解して、財務指標と戦略的行動を関連付けて理解することができます。
興味深かったのは、本書が「稼ぐ力」を高める有力な手段として機能スキルに注目していることです。マーケティング、サプライチェーン、購買・調達、ファイナンス、IT、デジタル&アナリティクスといった事業横断的な機能強化が、利益率の格差を生み出すという視点は、私にとって新たな気づきでした。
本書の後半部分では、ファイナンスの理論が詳しく説明されています。著者は、「企業価値評価」(マッキンゼー・アンド・カンパニー他著)シリーズの翻訳チームのリーダーを務めてきた方です。経営戦略だけでなく、コーポレートファイナンスのエキスパートでもあります。ただし、私が読んでいて気になった部分が二つありました。
最初に、「マルチプル法による企業価値評価」(同書162ページ)で、負債価値(純有利子負債の簿価)と株主価値(株式時価総額)の合計を企業価値と呼ぶことについてです。もちろん、マルチプル法を用いた類似企業比較法において、「企業価値」と定義する場合があるというのは、理解しています。例えば、これまた企業価値評価本のバイブル「MBAバリュエーション」では、「企業価値」としています。
DCF法では事業価値と非事業資産価値の合計が企業価値と定義されています。そして、その企業価値から、有利子負債等をマイナスすることによって株主価値を算定します。DCF法との一貫性を考えれば、「企業価値」ではなく、「事業価値」と表現すべきでしょう。
※参考ブログ「EV(=Enterprise Value)は企業価値ではない」
2点目は、「加重平均資本コストの低下」(同書177ページ)についてです。一部を抜粋してみましょう。
なお、 企業価値を向上するためのもう一つの方策である 「B. 加重平均資本コスト (WACC) の低下」 は、 おもに株主資本と負債の構成の最適化によって実現される。
それは、 企業価値を最大化させるようなWACCの低下を実現する株主資本と負債の金額のミックスである最適資本構成 (株主資本と負債のバランス。 図表12-3 「最適資本構成」を参照) を追求することなどによって実現される。
そして、 日本企業の場合は、 負債の導入によることが多い。 負債コストが株主資本コストより低いためである。
最後に「負債コストが株主資本コストより低いためである」と記述されていますが、これは誤りです。もちろん、負債コストが株主資本コストより低いのは間違いありません。ただ、これが理由で、負債の利用によってWACCが下がるわけではありません。モジリアニとミラーの理論(通称、MM理論第2命題)によれば、負債比率を高めると財務リスクの上昇によって株主資本コストが増加します。結果としてWACCが一定になります。
実は、負債利用によるWACCの低下は、節税効果によるものなのです。決して「負債コストが株主資本コストより低いためである」からではありません。恥ずかしながら、私自身、この点を「道具としてのファイナンス」を書いた時には理解できていませんでした。現在でも、多くの実務家が間違った理解をしています。
しかしながら、このような点はあるにしても、本書は図解も多く、理解しやすいため、私自身にとって大いに学びのある一冊でした。最後に掲載されている補論である「企業価値創造型経営の実現に向けて乗り越えるべき3つの課題」を読むだけでも非常に有益だと思います。この本をお薦めします。
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